はじめまして…

はじめまして。

私は、栃木県出身の50歳の女性です。

実家は、農家を営んでおり、現在は弟夫婦がイチゴ農園を運営しております。

子どものころから、男体山や那須山を背に、関東平野の広々とした田園の中で育ちました。

家が農家だったこともあり、新鮮な野菜や手作りの食品に囲まれて育ちました。

家の周りの生け垣はお茶の木で、新茶の時期には茶摘みして自家製のお茶を作って飲んだり、冬の時期には豆を煮て味噌を炊いたり。。。。とかなりスローフードな食生活を送っておりました。

子どもの頃は、田んぼの中を駆け回り、菜の花やレンゲを摘んだり、時には「おままごと」遊びをして過ごしていました。

地元の小・中に通い、高校はちょっと離れた女子高に電車で通い、

将来はぼんやりと、「女性でも活躍できる資格を取得し、自活できるようになろう」と考えていました。

高校卒業後は都会に憧れていたので、東京の女子大に通うつもりでしたが、

なせかキャンパスは池袋から40分もかかる埼玉の大学に進学しました。

大学卒業後は管理栄養士の資格を取得し、ひょんなことから学校の栄養士(学校栄養職員)になりました。

就職してすぐに、大学時代からお付き合いしていた彼と結婚し、

その数年後に一男一女を授かりました。

仕事と育児の両立はなかなか大変でしたが、

まわりの協力もあり、どうにかこうにか自分のスタイルで充実した時間を過ごすことができておりました。仕事と育児の傍ら、自然療法の講演会に行ったり、料理やパン教室に通ったりして、自分の視野も広げていきました。

平成17年頃は、食育ブームで学校栄養士の仕事が注目されるようになりました。

私も数回、新聞や雑誌、テレビ取材を受けました(全国の生放送というのも経験しました)。

平成19年には福島県で栄養教諭の採用が開始され、私も第一期生として、県内の学校における食育推進を担うこととなりました。

仕事にはやりがいを感じておりましたが、その一方でどんどん忙しくなり、自分の時間がなくなっていきました。

気が付いたら、我が家の食育はどうなってしまったのやら。。。。。

「家族そろって食事をしましょう」と、いいながら、

我が家の子供たちは、帰りの遅い父・母を待てずに、2人だけで食事をする日も多く。。

こんな矛盾を感じながら仕事をしてきた私。。

このままでは、ダメ。。と思い。

もう少し時間にゆとりのある仕事(大学の先生)に就こうと思い、

どこをどう間違ったか、44歳の時に大学院に入学し修士号の学位を取得するこを決意。

どうにか、入学試験をクリアーし、翌年からは仕事と学業の両立??(家事もプラスされるのでトリプル??)と考えていた矢先に、東日本大震災・原発事故・・・

この時期は、本当にわけがわからず、ただただ日々を過ごしていました。

大学院2年の夏、タイミングよく地元の大学の公募があり応募したところ、

採用してもらえることになりました。

なので、なにがなんでも修士論文を書き上げ修士号を取得しなければならなくなり、

ますます、忙しくなる一方。修士論文締切の時期は、睡眠時間を削って論文を書き、気が付くと、明け方の3時になっているなんて日もありました。

どうにかこうにか、修士論文を仕上げ大学院を修了し、学位もいただくことができました。

平成25年3月31日に栄養教諭を退職し、翌日4月1日より大学教員としての人生をスタートさせました。

大学教員は、思っていたよりかなりハードでした。

学生を指導し、学生が育っていくのをまじかで見ることができることが、何よりの喜びと感じています。

これまでの私歩みを長々と書いてきました。

とにかく、忙しく、忙しくと歩んできた様子が伺えます。

自分でも、なんでこんなに自分に負荷をかけきたのか?

私の人生は何だったの???どこを目指しているの???

と、わけがわかりません。

ただ、今心に思うこと。

それは、花や野菜に囲まれて育った子どもの頃の環境にもう一度戻りたい。

無理をせず、自然に。ありのまま生きていきたい。

そして、これまでの経験から培った、食や健康というテーマを扱っていきたい。

そんな思いでいっぱいです。

私の思い描く夢の実現に向けて、小さな一歩を踏み出します。

ナチュラル・ライフ in しらかわ

福島県白河市在住の働く女性が、仕事をしながら憧れのナチュラルライフの実現に向けて日々歩んでいく様子を綴っていきます。

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